ちょこあんぱんの日記

すきなことをすきに書く、それだけ。

『人間不信』

 

 

真夜中に読むべき記事ではなかったのだろうが、目に入れてしまったものをどうすることもできない。しょうがない。

 

眠れずにYouTubeを漁っていたらとある記事に目が吸い込まれてしまった。

 

それが残酷な記事だった。

心優しい穏やかな草食動物である牛が、なぜ闘牛化するのか。

そんなこと微塵も考えたことがなかったのだが、その記事はそんな子たちを助けるための署名運動のような記事だった。

だけどあまりの人間の卑劣さに悪寒が走った。寒気、身体中の血が引いてしまうような感覚になった。

そもそも人間がこの世にいなければ世界の秩序も自然の秩序も乱されることもなく平和に周るのではないだろうか?

動物でもそれは縄張りを守る戦いなり何なりはするのかもしれない。

けど正々堂々と一対一で、当たり前だが何の武器も使わずに自身の生涯を“生き切っている”のに。

憤りを感じてしまう。

 

それからこんな記事も読んだのを思い出した。

ケンタッキーフライドチキン』に使われる鶏がこれもまた残虐な殺され方をしている事が明るみになった記事だった。

 

どんな思いだろう。

どんなに辛いだろう。

どんなに苦しかっただろう。

ただでさえ人間に食われるなんてその事実だけで充分重荷を背負ってくれてるのに。

最後の最後まで苦しませて娯楽のように痛ぶって鶏の命を絶っていた証拠動画が見つかったらしい。そこまではあまりにも恐くなってしまって見れなかった。

 

なぜ人間は、こんなに卑劣で残酷で冷徹で脆くて寄ってたかって道具を使わないと何も太刀打ちできないくせして何様のつもりで言葉も発さない純粋無垢な動物にそんな仕打ちができるのか理解が到底追いつかない。

何故自分はそんな軽蔑に値する種族と同類の人間なんてカテゴリーにいるのか。

不思議でたまらない。

その記事の惨さに胸が苦しくなって苦しくなって呼吸ができなくなって涙が止まらない。

連日連夜のニュースも人間のくだらなさとむごたらしさを垂れ流してくるし、そんなことに使う頭脳と知恵なら全て消え失せてしまえばいいのに。

動物虐待総てやった張本人に同じことをやってやればいいのに。

麻酔もなしでそいつらが牛に鶏に動物におこなった惨たらしい行動を総てそのままそいつにやってやればいいのに。

何日も何日も、或いは死ぬまで。

人格が変わってしまうまで。

味わえ、その動物たちの苦しみと痛みと絶望を。心の底の底から身を持って償え。

死んで詫びろゲスとクズと痰壷共め。

お前らに明日を夢見る資格も生きる資格もあると思うな。

 

 

こんな夜中なのに感情が荒ぶって昂って頭の血管か首の大動脈がブチンッて音を立てて千切れそう。

 

 

前回は魚の記事でそうなったけど、

また暫く鶏肉と牛肉食えねぇわ。

ま、豚もそうなんだろうけど。

 

来世は動物に生まれたい。

人間なんてまっぴら。

来世生まれ変わるとしたら、もう人間なんて滅びた後がいいな。